ごみ問題は来るべきものだった

2011-10-24

二十世紀初めごろの日本では、明治維新後の急速な近代化の歩みに合わせて、国民は豊かで安定した生活を確保するために、経済と工業の発展に努めてきた。さらに、二十世紀の半ば、第二次世界大戦が終わってからは、日本の経済復興は驚異的な速さで進み、その後の高度成長時代に入っていったが、その半面、国内各地に水質汚濁や大気汚染などが発生し、生態系の破壊や、自然環境の汚染が生じてきた。また、より多くの収益を得るための大量生産・大量消費の流れは、使用済み製品や生産過程から出る大量の廃棄物をもたらし、その結果、国も地方自治体も、最終的には国民のすべてが廃棄物、すなわちごみの処理に行き詰まることになって、ごみ問題が起こった。家庭と事務所のごみ処理に責任がある東京都や全国の市町村などは、次々に大型のごみ焼却場を建設してきた。二十世紀末の現在では、狭い日本の国内に一九〇〇か所近いごみ焼却場が稼働している。最近、日本全国を襲ったごみ焼却場のダイオキシン発生問題にしても、出し放題の生活ごみと産業廃棄物の処理を、ひたすら焼却に頼ってきた日本にとって、来るべきものが来たと考えた方がいいのかもしれない。ごみを焼却すると、燃やしたごみの量の一〇〜二〇%が焼却残澄、すなわち焼却灰になって出てくる。焼却灰と、金属・ガラス・陶磁器などの燃やせないごみ(不燃ごみ)、廃プラスチック製品などの燃やしてはいけないごみ(焼却不適ごみ)は、一緒にして最終的に埋立処分するのが日本のごみ処理の基本方式である。