なんと日露戦争が【岩おこし】の知名度アップのきっかけ

2011-01-20

大阪名物として知られているものに「岩おこし」がある。「おこし」とは、おこし米ともいい、米や粟などを蒸して干した後に砂糖や水飴を混ぜて型に入れ、乾燥させた干菓子のことだ。弥生時代の出土品から、米を蒸して乾燥した「ほしいい」に似た穀物の加工品が出てきていることや、『日本書紀』によれば、奈良時代の神武天皇の祝詞にほしいいを蜜で固めたものが記されていることなどから、おこしは日本でもっとも古い歴史を持つお菓子といわれる。また、こうして昔に作られたお菓子であるため、できるだけ日持ちがするように試行錯誤をしていった結果、あのように固いお菓子になったのではないかと考えられている。この日本最古のお菓子が大坂で作られるようになったのは、江戸時代。「天下の台所」と呼ばれた大坂だけに、おこしの原材料である良質の米や飴が入手しやすい環境ができていたためだという。こうして大坂で作られるようになった「おこし」は「身をおこし、家をおこし、国をおこす」ということで、禄起の良いお菓子として、大坂の繁栄とともに名物になっていった。さらに、その岩おこしの名を全国的に広めるきっかけになったのが、日露戦争である。岩おこしを製造するあみだ池大黒によれば、明治三十七年、明治天皇から戦地の兵士に配る菊の御紋章入り「恩賜のおこし」三五万箱の大量注文が同社に入った。おこしが選ばれた理由は、日持ちが良く、非常食として優れていたからだといわれている。またひょっとすれば、日露戦争の相手は大国ロシアであり、国力の差は圧倒的だったため、そうした敵に勝つために、「身をおこし、家をおこし、国をおこす」という縁起の良さにあやかろうとしたのかもしれない。こうして兵士たちに届けられたおこしは大好評となった。戦争が終わって彼らが帰国した後には、大阪で「おこし」を買い求める風潮が高まり、大阪名物として全国に認知されていった。小国日本が大国ロシアを打ち破ったという高揚感が国民の間にあったことも功を奏して、抜群の宣伝効果を発揮したのである。こうして現在も大阪名物として作られ続けている岩おこしの特徴は、噛んだ瞬間に口の中で米の風味が香り立つような味わいと、歯につかずサッパリとした歯ごたえだが、うまく仕上げるのはなかなかに難しい。そのためには、とくに水飴の扱いがやっかいで、毎日の天候、温度、湿度の違いによって、火加減や炊き込み加減も変わる。乾燥の具合も調節しないと機械や刃にくっついてしまうという。

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