1907(M40)年内務省地方局有志によってE、ハワード(EbenezerHoward)の(田園都市計画)が翻訳紹介されたことも郊外住宅地開発を促す大きな要因となった。このE、ハワードの「田園都市」に着目して、実際に1919(T8)年から約10ヶ月にわたり、欧米の都市開発の現地を視察し、日本において田園都市を実践に移しだのが渋沢秀雄である。1918(T7)年に東京府荏原郡の地主有志が、渋沢栄一翁を訪ね、同郡一帯の開発を要請したことにより、我が国最初の「街づくり」を本業とする企業ともいえる田園都市株式会社)が設立された。現在の阪急電鉄であり、1907(M40)年に設立された。当時日臨戦争後の経済パニックにより会社経営が危ぶまれていたがこの事態を打開するため、発起人の一人であったK氏は、「電車が儲からなくても、株主を安心させる方法」として沿線開発鉄道建設とを構想し実施した。