出雲そばといえば、割子そばや釜揚げそばなどがあるが、そば本来の香りを楽しむならなんといっても割子そばである。割子そばは三段重ねの丸い漆器に盛られた黒みがかったそばに、出し汁をかけ薬味を入れて食べるという独特なものだが、この丸い漆器は、昔はちがう形をしていたらしい。出雲よりもそば屋が多いという松江には、そば好きが結成したNPO団体「まつえ・まちづくり塾出雲そば通団」なるものが存在し、市内のそば屋を食べ歩き、出雲そばの繁栄とさらなる活性のために、そばにまつわるいろいろな情報を発信しているが、その人たちが作成した資料で割子そばの歴史が紹介されている。割子そばの「割子」とは、この地方では重箱のことをいうが、これが使われるようになったのは、江戸時代だという。その頃の松江地域には身分を越えた趣味人たちの「連」と呼ばれる集いがあり、その趣味人たちが、野外でそばを食べるための弁当箱として考え出しだのがきっかけである。道中弁当に用いられていた白木の使い捨て容器が原型といわれており、形は長方形やひし形、楕円形などとさまざまであったという。では、このように多種多様だった割子が今の丸い形になったのはいつからなのだろうか。それは明治四十年頃の話である。当時の松江警察署長が丸い器を提案したのだ。提案したのは角がある器は洗いにくいので衛生上適していないなどの理由からだった。材質はヒノキで厚みのある底に漆塗りという、現在の割子の形はこのとき誕生したのである。なぜ、警察署長がこのような提案をしたのかというと、当時の地域の術生管理は警察の管轄であり、またこの警察署長は連のメンバーでもあったからだ。このような歴史によって、現在の出雲そばがあるわけだが、ほかのそばと違ってなぜ黒みがかった色をしているのかの疑問も解消しておこう。通常のそばは、そばの実だけを挽いて練られるが、出雲の場合は挽きぐるみと呼ばれる、皮ごと引く製法なのだ。そばの実は部分によって色が違い、中心に近いほど色が白くなる。ほかのそばでは色わけをするのだが、出雲そばは選別せずに一統に挽くので濃い色になるというわけだ。外側の皮に近い黒い部分ほど栄養価が高く、タンパク質、ミネラル分が豊富で香りも高い。出雲そば特有の高い香りはそれが理由でもある。このように優れた特徴を持つことが関係して、島根の出雲そばは、長野の戸隠そば、岩手のわんこそばとともに日本の三大そばに数えられている。
(参考)
すぐに使える香典返しの手順